150周年事業画像集


平成26年4月26日・27日

26日(土)朝、望月宿歴史民俗資料館前を出発!5名の参加です。
天候に恵まれました。



茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)大澤酒造さんの杉玉
正式な宿場ではなかったのですが
道幅が狭く風情がある場所でとてもおすすめです。
実際に訪れてみないと良さが伝わらないのは残念なところですが



芦田宿ふるさと交流館、リニューアルオープンしたばかりのところを訪れました。
現代の茶屋的な存在、展示物も豊富です。



内部の様子、長野県佐久地方事務所商工観光課 長井さんには色々とお世話になりました。ありがとうございました。



芦田宿、正明寺の見事な枝垂れ桜!



笠取峠の松並木、整備されていて歩くのがとても快適です。



午後、長久保宿まできました。一福処 濱屋(はまや)
建物は明治になってから建てられました。現在は資料館となっています。
保存状態がとても良く、ぜひとも見学したいところです。



二階に展示されている、かご



左から、さいとう
お世話になりました長和町観光協会 手島さん
かくさん



きれいに復元されている高札場(こうさつば)



和田宿手前にありましたとてもユニークな、みみず道祖神



和田中学校、中山道沿いにあります。



歴史の道史料館かわちやのいろり、高さを自由に変えることができます。



26日のゴール、和田宿本陣前



ゴールデンウィーク初日ということもあり賑わっていました。
本陣の屋根は、栗の木の板に置き石という造り



いままで日帰りで運営してましたが、今回から宿泊
今夜は民宿みやさんでお世話になりました。
アルコールで反省会



27日朝、和田宿本陣出発
和田峠越えで気合いを入れる



唐沢一里塚、当時のままの状態で道の両側にあります。



しばらく登り、接待茶屋跡まできました。
当時無料で粥などおもてなしを受けられた場所です。碓氷峠にもありました。
道路反対には湧き水がありとても人気があります。
ペットボトルに補給たいへんおいしい水でした。



近藤谷一郎巡査殉職の地碑
明治22年囚人を護送途中、囚人に襲われ命を落としてしまいました。



こんなトンネルの所もあります。中は川も流れとても涼しい



頂きまで来ました。標高1,600M
和田宿側は歩きやすく快適、反対の下諏訪宿側は登山道のようで険しいです。



見はらし最高!なぜか西遊記を思い出す。京の都はまだ遠い



西餅屋立場跡の先、一里塚を過ぎたあたり下は沢となっている危険な場所
かくさんが、沢の反対側にクマを目撃!



浪人塚
幕末、天狗党と諏訪の連合軍がここで戦い双方合わせて20名位が命を落としました。
茨城から来た私たちにとっては立ち寄らなければならない場所です。
メンバーの中にも関係者の方がいます。



大きく育った木が150年前の歴史を感じさせてくれました。






記帳する局長、ここを訪れている方は茨城の方が多い



御柱祭の超有名な木落とし坂、とらとさるの年に式年祭として御柱祭が行われています。
モミの大木をこの坂(崖)から落とします。日本三大奇祭



坂の上で記念撮影、左側が下の下の画像



これは、正直こわい!ころげ落ちるの確実



諏訪大社春宮の御柱、各宮の四方にこのように立ててあります。



下諏訪宿伏見屋邸、ここにいた方がなんと近藤勇の御子孫の方と同窓生でした。
お茶を頂きました。おもてなしありがとうございました。



諏訪大社秋宮に御参り、手水舎の水がなんと温泉



二日目のゴール、下諏訪宿諏訪大社秋宮前
このあと温泉に入り疲れを癒しました。







5月3日(土)この日はメンバーの都合が悪く局長一人での行進となってしまいました。



赤報隊の相楽総三(さがらそうぞう)以下幹部8名を奉った「魁塚」



塩尻峠途中にある旧中山道大岩、昔から有名



塩尻峠頂きからの眺め(左に八ヶ岳、右に南アルプス、中央に富士山が見える)
標高1,000M



塩尻宿本陣跡



塩尻宿堀内家(国の重要文化財)
本楝造りと呼ばれる建築、屋根には雀おどりと呼ばれる飾り



耳塚、お椀を奉納すると耳が治るといわれる



日本三大遺跡の平出遺跡、東海道にも府中の登呂遺跡があります。



洗馬宿入口にあります。「肘掛けの松」
細川幽齋がひじを懸け月を眺めたという伝説が残る
細川幽齋、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、塚原卜伝に剣術を学ぶ



本日の到着地「洗馬駅」
洗馬(せば)宿、当時諸白という高級酒で有名でした。
諸白は精米されたお米で造られた日本酒、現在ではあたりまえですが、当時お酒は玄米から造られていました。



5月4日(日)、本日は3人で洗馬(せば)宿本陣跡を出発



そば切り発祥の地、本山宿



これより南、木曽路の碑
昭和16年建立



道中で出会った、垂井から江戸を目指す青木さん御夫妻



贄川(にえかわ)関所跡、木曽ひのきなどが無断で流出するのを防いでいた。



贄川宿は木曽漆器の街、木曽平沢駅周辺がとくに多い



贄川の栃の木(樹齢1,000年、高さ33M)



本日の到着地、奈良井宿。ちょうど春祭りの日、観光客で賑わっていました。



5月5日(月)雨の中、奈良井宿を出発



鳥居峠に入る



道は整備されていて歩きやすい



藪原(やぶはら)宿にある水飲み場(道中水飲み場が多くあります)



木祖村民センターに展示されているSL D51



木曽義仲館前にて
木曽義仲(源 義仲)、平安時代末期の信濃源氏の武将
義仲をこよなく愛していたのが俳聖芭蕉でいろいろつながっていて面白い



宮ノ越宿本陣跡、この地は木曽義仲旗揚げの地



中山道中間地点の看板(ついに半分を越えました)



木曽福島宿入口の関所モニュメント、当時幕府の四大関所の一つ
中山道では、横川と福島、東海道は箱根と今切にありました。
江戸時代の関所の目的は「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まること
その結果、平和な江戸時代が265年続くことに



木曽福島駅周辺の様子、背景にはいつも山並み



本日の到着地、木曽福島駅。雨のなか御苦労さまでした。



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