新選組誕生150周年記念事業画像集


平成26年7月9・10日


平成26年7月9日(水) 伏見宿を出発、台風が向かって来てますが、この時はかろうじて天気よし



中山道都市部の大きな道路沿い(国道21号)に、辞世句碑(辞世塚)がありました。新しい碑も混ざってます。



木曽川、太田の渡しの付近に来ました。こちら側が今渡の渡し場で向こう側が太田の渡し場
中山道三大難所の一つ
江戸時代天明期以後この付近になったようです。それ以前はもっと下流方面にあったようです。
船着き場に通じる石畳が今も残っています。



画像ではわかりませんが、流れは速いです。危険なのが良く分かりました。



木曽川沿いを来ますと、まもなく太田宿です。観光に力を入れている地区です。
話を伺い、いろいろ参考になりました。



太田宿中山道会館では、江戸の千両箱展が開かれていました。
サンプルで持つこともできる千両箱もありました。千両箱は、おおよそ15sあり重い



木曽川沿いを進む、局長飯田さん



鵜沼宿で、日野新選組同好会みやもとさんと合流し昼食後撮影



その後軽快に進むが、台風接近中なため雨となる

途中強烈な豪雨に、弱まるまで雨宿り

雨が止めば蒸し暑く、どちらでも不快


仕方なく雨宿り中



加納宿手前の鏡岩供養塔、
鏡岩は、江戸時代文政のころの有名だった相撲取りの名



本日の目的地加納宿に到着、宿場の雰囲気は無くなっていました。

岐阜駅が近く、この日はビジネスホテルに宿泊



翌朝7月10日 かくさんも合流、いいださんは京都に今後の段取りに向かう

朝から雨のため、支度をしホテルを出発、撮影はホテルロビーにて



鵜飼いで有名な長良川、橋上は風当たりがいいので渡るのに苦労しました。
雨も激しいので増水してます。



長良川を渡るとまもなく河渡(ごうど)宿です。



美江寺宿を行く玉造隊!天候は雨、かくさんの靴底がはがれてしまい大変そうです。
中山道は画像の右側に曲がります。宿場では敵軍が通過しづらいように、枡形に何箇所か曲がります。



美江寺宿本陣跡に到着



和宮遺跡、小簾(おず)公園に到着

大きな無料休憩所があり休息、悪天候なので助かりました。
トイレ、水道が整備されているので旅人にはありがたい便利な場所です。



皇女和宮が御降嫁の際
呂久川(今のいび川)を御座船で渡ったとき、対岸の馬淵家の紅葉したモミジを
お目にとめられ次の句を詠みました。

「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」

昭和4年4月に記念公園が整備されたようです。



今回気になった場所、建設現場橋脚が続いてます。桜並木の向こうにも続いています。
高さ的にも桜を伐採するしかないのかな、桜の運命やいかに



赤坂宿にあります火の見やぐら、赤坂宿で昼食をと予定していましたが
お店が見つからずあえなく前進



沿道の方に尋ねると
この先に「明吟」さんを紹介される

そして遅めの昼食となりました。
雨の中、温かく迎えて頂いた「明吟」さん
ありがとうございました。

こちらです。
https://plus.google.com/100011866211485235906/about?gl=jp&hl=ja
場所は昼飯大塚古墳近くです。

ちょっと恥ずかしいかな



若旦那さんとも



今回はいつもより長距離なため、メンバーの足の具合が悪く垂井宿手前の
垂井駅到着となりました。ばんざーい







平成26年7月19日(土)〜20日(日)

本日のスタート垂井駅、参加者は7名左から、のはらさん、せきぐちさん
いいだ局長、かくさん、こいけさん、みやもとさん、はっとりさん



垂井宿の旅籠 亀丸屋、今でも営業を続けています。



これは懐かしい、未だにあることが不思議



関ヶ原の松並木を進む



関ヶ原にやってきました。天下分け目の関ヶ原



関ヶ原歴史民俗資料館前、これですよやりたかったの



元の名は山中川でしたが、壬申の乱にて川が血の色にそまり黒血川と呼ばれるようになりました。



常盤御前(ときわごぜん)の墓

常盤御前は都一の美女と呼ばれていました。
源義朝(みなもとのよしとも)の側室となり
今若、乙若、牛若の三人の子供を産みました。
しかし、義朝が平治の乱で敗れると
平清盛(たいらのきよもり)に捕えられ、しかたなく側室となります。

鞍馬山で修業していた牛若丸(義経)が東国に下ったと知らされ
乳母の千種とともに後を追いました。
しかし、悲しいかな
この地で土賊に襲われ息を引き取ります。
あわれに思った里人がここに葬り塚を築いたと言われています。



美濃「岐阜県」と近江「滋賀県」の県境(左の溝)



柏原宿にやってきました。



喫茶 柏で食べた、やいとそば
やいととはお灸のこと、とろろ昆布を、も草にみたて紅ショウガの火で焼いているイメージ



柏原宿本陣跡地



喫茶 柏のスタッフの皆さんと記念撮影、これからも頑張って下さい。



西日本では「やいとすえるぞ」と言うそうです。
歴史館受付の女性に応援うけました!



醒井宿に来ました。ここは名水の町
宿を流れる地蔵川



梅花藻(ばいかも)
キンポウゲ科の水中多年草で、梅に似た小さな花を咲かせる。
この花の写真を撮る観光客が多数訪れる

もう少しすると満開だそうです。



地元の商工会が直営の売店「お地蔵横町」を運営しています。

実は玉造隊の主要なメンバーは商工会との関わりがひじょうに深いのです。



醒井宿と番場宿の間で野生の猿に遭遇
子猿2匹を連れて右の林に駆け込みました。



鳥居本宿手前にありました彦根市のモニュメント



鳥居本宿で有名なのが、赤玉教神丸本舗。
万治元年(1658年)創業で腹痛や下痢止めの妙薬として
全国に名が広まった。
今でも多くの人に親しまれる胃腸薬として健在です。



当時の看板、普段は見ることができませんが特別に見せて頂きました。
「近江名所図会」にも描かれた立派な看板です。



途中からの雨にもめげず無事
鳥居本宿本陣跡に到着。



野原氏談、鉄分多めの旅でした。近江鉄道はナカナカやっちゃってくれるわ



7月20日(日)鳥居本宿本陣前をスタート。
参加5名、鳥居本宿で有名なのが赤玉教神丸と合羽です。
江戸時代道中合羽を商う店が多くあり、今でも看板だけは残っています。



今回の行程で話題となりました。新幹線の不思議な囲い
建設当時上空に索道(貨物ロープウェイ)があり落下物から保護する目的でこのような構造物ができたらしい

タイミングよく新幹線も写ってます。



小野小町塚、美人で名高い小野小町生誕の地だと言われている。



高宮宿では滋賀県立大学生による休憩所「喫茶 おとくら」が運営されていました。
古い蔵を改装しギャラリーと喫茶を営業しています。
地域活動に参加する若い人の頑張りに拍手を贈ろう。





日本初のコンクリート小学校校舎
豊郷(とよさと)小学校旧校舎群
昭和の近代建築で、建設当時「白亜の教室殿堂」と称された。



豊郷は「けいおん」の街で、当日は主人公のお誕生日会が開催されていて
全国よりファンの方が集まっていました。



すみません、新選組からだいぶはなれてます。



伊藤忠・丸紅の創始者で近江商人の筆頭にあげられる伊藤忠兵衛
記念館にやってきました。



現在でも、部長や新入社員の研修がここで行われるそうです。



愛知川宿にやってきました。



観光協会で宿の駅「えちの駅」を開けており



このような物を頂きました。



野原氏談
琵琶湖を見ず、彦根城も安土城址にもよれず、
歴史の表舞台の地を去らねばならないとは、、、、
発見!信長旗印
いやまて、刀の鍔だぞ
信長の鍔は六文!まぁぁ どっちでもいいや マンホールだし



本日の到着地、武佐宿本陣に到着。暑い中ご苦労様でした。





番外編

国宝 彦根城
現在、世界遺産登録の活動が行われています。



彦根駅前にあります彦根藩初代藩主 井伊直政公像



JR南彦根駅前の金券ショップ店頭にある「格安切符の自販機」
このあたりの沿線では普通の光景で、ICカードで電車に乗る人は少ないという。





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